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  • 執筆者の写真takplan

[就活] 年収3,000万の会社経営者が新卒で年収360万のエンジニアとしてリーマンを始めた理由

更新日:2023年1月8日


経営者を目指すことを前提で始めたエンジニアの仕事

私はこれまでソニーや楽天、ベンチャー企業を経て、現在年収3,000万を稼いでいます。こんな私は新卒はペーペーのエンジニアとしてリーマンから始めました。


当時の初任給は年収360万(ボーナス込み)。海外の大学を卒業していたのに、なぜわざわざ日本の大手企業に就職したのか?というと単純に自分の技術の腕を磨くことに3年は集中しようと決めていたからです。


会社の経営者になることはあくまでロングタームの目標として設定していました。というとかっこよく聞こえるかもしれませんが、実際は、当時まるで自分がどうやって会社の経営者になるのかということが全くわかっていなかったから、という方が適切と思います。


単純に大学を卒業しただけで会社経営で必要なことは何もわかっていない、ということです。自分が当時最も得意なことはエンジニアとしてコーディングができることだったので、そこを徹底的に鍛えると共に、仕事としてのアウトプットを出すことに集中しました。


エンジニアとして感じた壁


エンジニアだったので、仕事のアウトプットは動くものを作るということ以外に、特許を取ることにもこだわりました。やったことがある人はわかるかもしれませんが、新しいことを生み出すということは、それなりの努力が必要です。しかも特許となるとこれまで世の中にないものを作ることが必要なため、それなりに頭を使うことが重要です。


エンジニアをしている中で、上司や先輩方をよく観察していました。理由は仮に自分が今後何年も続けていった後の自分の姿を先輩や上司の姿から容易に想像できるためです。


その姿と自分の目標である会社経営者は物凄くギャップがありました。いわゆる研究が大好きな人たちの集まりで、技術のすごさがその人の価値を決める、というとわかりやすい価値観でした。


その活動の中で、非常に技術的に尖がっていることをやっているのですが、果たしてそれがビジネスとしてうまくいくのかどうかは全く別問題です。そこが欠落した状態でもひたすら技術開発のために突っ走ろうぜ、というのが当時の私の所属する組織の文化でした。


ある意味これは素晴らしい技術はできるかもしれないけど、ビジネスとして成立させるための努力も並行してやらないとうまくいかないのではなかろうか、ということを経験はないものの、いつも疑問に思いながらエンジニアとして担当していた仕事に打ち込みました。


私の入社から3年後、結果は日本のローカルスタンダード技術として採用されたのですが、いかんせんそれだけでは世界で戦えないというジレンマに陥りました。その間、私はエンジニアとしての経験を積むことでベースバンド部分の半導体チップの設計や、通信プロトコルの制御アルゴリズムのソフトウェア開発が一通りできるようになっていました。


経営者に向かって次の一歩


当時私がエンジニアとして関わっていた無線通信業界は新しい技術がどんどん現れていた時代で、ブルートゥース、Wifi、W-CDMA等の3Gなどなどが続々と生まれていました。


そんな中でこれらの新し技術を使って商品にするという動きがどの会社でも加速していました。そのために、コア技術となる半導体やソフトウェア技術が鍵となり始めた時代でした。


これらの技術を作るためには、そもそも技術を実装する開発力、資金力、そしてマーケティング力の全てが必要です。平たく言えば経営力の勝負です。


そこで目立った動きをしている会社があることに気づきました。当時私はエンジニアとしてこれらの技術の標準化について協議が行われるIEEEという米国電気電子学会という団体に参加し、技術の提案活動を展開していました。


IEEEのとある会合、といっても技術の世界標準を決めるといってもいい非常に重要な会合に参加していて気付いたことは、技術仕様に対する白熱したディスカッションが展開されている中で、そのディスカッションを引っ張っているリーダー的な役回りを務めている人がいました。


そこは技術の闘いなので、最も優れたパフォーマンスを生むものが生き残るという容赦ない世界で、(私を除く笑)各社からの精鋭エンジニアたちの意見をまとめる(黙らせる?)リーダー役の人はどこの会社の人だろうと思って調べたところ、まったく聞いたことのない会社の人だったことを覚えています。


ベンチャー企業との出会い


当時IEEEの会合で知り合った人に聞いてみると、その会社は実はその界隈、すなわちシリコンバレーでは既にかなり有名なベンチャー企業であることがわかりました。


恥ずかしながら当時の私はベンチャー企業といえば中小企業でしょというくらいレベルの認識しかありませんでした。たまたま参加することができた海外での技術会議で出会ったスーパーエンジニアが働く無名の会社・・・しかも並み居る大企業から派遣されたエンジニアが集まる会議で全員を黙らせる技術に裏打ちされた説得力を持つ社員が働く会社。


な、なんだこれは?


私は留学した時以来に感じる衝撃を受けたことを覚えています。

ここから私の考えは変わりました。


もっとベンチャー企業について理解しよう。そうしないと恐らくこれからはついていけなくなるという危機感を持ったためです。


手始めにそのエンジニアの働くベンチャー企業から調べることにしました。

そしたらなんとその会社はシリコンバレーでもいけてるベンチャー企業で、ファブレスという製造設備を持たない半導体設計会社だということがわかりました。


そのベンチャー企業の社員の数は当時100人にも満たない小さな会社でした。なのにこんな優秀なエンジニアが働いている。しかも調べていけば、その会社には以前は大企業で部長クラスの人が転職して働いていること、その会社はスタンフォード大学の教授が創業した会社であることなどがわかってきました。


私のリサーチによる更なる発見は、ベンチャーキャピタルでした。その会社のホームページにはベンチャーキャピタルの何がしというところが出資している云々・・・


なんのこっちゃ?


今ではベンチャーキャピタルといえば日本でも知らない人は少なくなったと思いますが、ほんの二十数年前は知る人ぞ知るというものでした。

そこからベンチャーキャピタルについて調べれば調べるほど、これはすばらしい仕組みだということがわかってきました。


会社を成長させるための仕組みをベンチャー企業に提供するというノウハウを持った集団。

これは経営者を目指す私はどうしても知っておかなければならないことだということを認識しました。


ベンチャー企業といえばシリコンバレー、ベンチャーキャピタルといえばシリコンバレー、ということで、自称行動派の私は早速シリコンバレーへ渡ることを決めました。


この後の話は、見習い経営者の武者修行 in シリコンバレーでお話しします。






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